ray , self produce diary

思ったことを他人が読めるように書く練習。

晩年思春期の散文

心が動く方へ、
感性が揺さぶられる方へ、
歩いて行ったら良い。

道を見つけただけでは世界は広がらない。
進むからこそ意味がある。

そうすれば、その先に新たな道が出き、
世界はどんどん広がっていくから。


でも、世界を広げて懐の深い人間になって、わたしはどうしたいんだろう?

なりたいわたしになって、人生が楽しくなって、そういえば、人生って何のためにあるんだっけ?

先生に聞いてみたかった。

先生はこの世界を少しでも良くしたいと仰ったけど、わたしは、この世界をどうしたいんだろう。

どうにもできるわけではないかもしれないけど、この世界でどう生きたいんだろう。どこに向かって生きていけばいいんだろう。

仕事を選んで、食べて、寝て、生きて、人を愛して、子どもを産んで、それで?

この世界について考えたいという思いはある。でもそれは、知らないことに意味をもたらしたいという、ただの知識欲なんだろうか。

先人の考えを知りたくなる。
哲学書でも読んでみようか。

うつくしいものをうつくしいと感じる心。
ひとつのものを見て、ひとの数だけ無限に広がる発想。想像力。
そこから生まれる唯一無二の文章。
ただそれを生み出して自己陶酔したい気持ち。

ひとの思考に入り込みたい。
ひとの感性を揺さぶりたい。
わたしによって誰かに影響を与えて、わたしという人間を残したいという気持ち。

自分を残したいというのは、生きた証を残したいというのは、子孫を残したいというのと同じで、生物の本能なんだろうか?

わたし、ただ産まれて誰にも気づかれずに死ぬのは嫌だ。承認欲求が溢れてるだけなのかな。

まだわたしは、自分の限界を知らないでいる。きっと挫折が足りていない。わたしは何にでもなれる、いや、何者かになれると思っている。わたしには人と違う何かがあると信じている。きっと自分が好きなのだ。その価値を他人に認めてほしいのだ。
でも、それだけか?

欲しいものは欲しいし、やりたいことはやりたいし、なりたいものはなりたい。
欲は我慢するのではなく満たすものだ。
(そういう発想が自己中心的な性格を招いているのかもしれない)

やりたいことはやろう。
やりたくないけどやらなければならないこともやろう。
そうでなければやりたいことができなくなる。

やりたいことだけやっている人は社会に適応できない。
やりたいことをするために、やりたくないことを進んでやろう。


意味のないことをそのままで受けとめられない。意味を考えずにいられない。自分なりの答えを出すまで延々と脳内で繰り返される。



わたしが生きるのは、生きたいからだ。
生きていて、楽しいことや幸せなことがたくさんある。つらいことを乗り越えた先に今までよりもできることが増える成長があることも喜びだ。

わたしは、生きたいから生きているけど、でも、選択する余地もなくこの世にヒトとして産まれて社会の一員として生きていくのは、不思議で、あらかじめ決まっている原理を原理として受けとめられなくて、「どうしてこうなった?こうするしかなかった。何のために子孫を残すのか。」と様々な疑問が渦を巻く。

結局考えたって今ここにあるものはこの世界だけだから、ここで自分が満足するように生きていくことがすべてなんだけれど。

他人が読める文章を書くのが目標なのに、散文にも程がある。でも、今日のわたしの思考の整理のために、残します。

いつかきれいにまとめられる日が来たらいい。